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最終章 / Epilogue

 自我を捨てていた。

 そうでもしないと、自分はその男に壊されてしまうと思った。
 人形のように振る舞い、自我を捨てることで、それを無傷で守り通せるのだ。

 感情を捨てなければ、とっくに舌を噛みきっていただろうから。

   *

 ─舌を、ねえ。

 真面目に受け取っている風はない。

 しばらく上を向いたまま、何事か考えていたが、ふいに視線を戻すと、加虐的な笑みを浮かべて尋く。

 ─誰の舌さ?

 それは。
 不覚にも、考えていなかった。

    *
 
 自分から求めたことはない。
 弁護するようにそう言えば、男は微塵も動じないまま、嘲笑を浮かべてこう返す。

 ─そうだねえ。でも、欲しがってるのはそっちでしょ?

 思わず絶句した隙をついて上身を滑り込ませ、息をする間も与えないほど荒々しく唇を奪うその首を。
 ひねり殺してやりたいほどに憎らしかった。

 自分がただの夜伽であるかのような屈辱。

 ─まぁね。躰だけの女ならどこでも拾えるけど。

 そうなのだ。

 『此処でも』。

 暗にそう肯定されたようで、痛かった。

   *

 痛い。

 どくどくと脈打つ部位を抱えて、このまま捨て置かれたらばどうなるのか。
 だんだんと褪めていく色は、一度も美しく在った試しはない。

 ─終わりがあるのは、仕方ないでしょ?それとも、

 それとも…。

 刹那、その瞳に隙ができたのを視る。
 防御するかのように、眇めてそれを逃した。

 ソレトモ。

   *

 それが本音ならば。
 もしも本音なら、それは私を殺し得るに違いない。

 死に到らしめる。
 ひどく凶暴で、そしてひどく純粋な必要性だった。

 口に出したらば屹度、その瞬間に駄目になる。

 ─…禁句だね。

 そう。
 道はいつもただ一つの終点を目指し、勝手に直進して行く。

   *

 伝えたい言葉は決して口をつかず、褪めていく色には我慢ができず。

   *

 自我を捨てていた。

 その男が、自身の全てを所有することを欲していた。

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後記:無。